タイトル左の写真

昭和初期の登山−中高年チャレンジ

 日本の近代登山の幕を開けたのは、キリスト教の宣教師として来日した、イギリス人のウォルター・ウェストン(1861年-1940年)でした。1893年(明治26年)に上高地に入り「日本アルプス」と名付けました。その後、小島烏水(こじま うすい 1873年-1948年)らにより、1905年(日露戦争開戦の翌年)に「日本山岳会」が設立されました。
 それ以前の日本の登山は、山岳宗教と結びついた登山で修行僧が山に登り祠を祀ったりしました。なかでも富士登山は、江戸時代に大流行し「御江戸八百八講」といわれるほど、多くの富士講がありました。今でも、富士登山の玄関口になった河口湖近くの富士吉田あたりには「御師の家」が残っていたりします。

登らないでも楽しめる
新田次郎の山岳小説

 富士山頂の測候所に勤めていた新田次郎(1912年-1980年)さんは1956年(昭和31年)に、「強力伝」(ごうりきでん)で直木賞を受賞しました。「強力」とは、ヘリコプターなどが使えない頃に山に大きな荷物を上げるプロの歩荷(ぼっか)のことです。100kgを超える荷物を背負い3000m級の高山へ荷揚げをしたりします。
 その新田次郎さんには、日本の登山を語る上で欠かせない単独行の加藤文太郎を描いた「孤高の人」、富士講の祖・長谷川角行を描いた「富士に死す」、槍ヶ岳に祠を祀った播隆上人を描いた「槍ヶ岳開山」など多くの山岳小説があります。
 新田次郎さん自身が、富士山測候所に勤め山や登山に対しての具体的な経験があるので小説も緻密に書かれていて楽しめます。登山の歴史に関しての本もいろいろありますが、まずは新田次郎さんの小説から入ると、興味深く飽きずに知識が身につくと思うのでおすすめです。主なものは、新潮文庫で手軽に入手できます。

新田次郎さんの「孤高の人」です。単独行で数々の山を登った加藤文太郎を題材にしています。やはり単独行の山行で知られている松濤明さんも加藤文太郎さんも同じ槍ヶ岳の北鎌尾根で亡くなりました。そして、単独行ではなく2人とも連れのある山行の時でした。松濤明さんには「風雪のビバーク」という壮絶な遺稿があります 新田次郎さんの「孤高の人」です。単独行で数々の山を登った加藤文太郎を題材にしています。やはり単独行の山行で知られている松濤明さんも加藤文太郎さんも同じ槍ヶ岳の北鎌尾根で亡くなりました。そして、単独行ではなく2人とも連れのある山行の時でした。松濤明さんには「風雪のビバーク」という壮絶な遺稿があります

 今に語り継がれる登山家としては、田部重治、冠松次郎、松濤明、大島亮吉、小西政継、芳野満彦、安川茂雄、長谷川恒男など多くの先人達がいます。登山中に事故で亡くなった方もかなりの数に登ります。
 登山日誌や山行記を残している人も多いので、興味があれば古書店などで探してみて下さい。

「日本百名山」のページで少し詳しく説明した、深田久弥さんの「山の文学全集」です 「日本百名山」のページで少し詳しく説明した、深田久弥さんの「山の文学全集」です

昭和初期の登山風景

 さてさて、前置きが長くなってしまいましたが中央にある3枚の写真は昭和5年前後の登山の写真です。年代は分かっているのですが、残念ながら場所ははっきりしません。
 食事風景では、飯盒を使いアルミ製の水筒のようなものも見えます。現在では、軽くてそこそこ美味しい乾燥食材などもありますが、当時はいかに高カロリーを少ない重量で摂るかが重要でした。加藤文太郎などが、甘納豆をいつもポケットに入れて食べていたのは有名な話です。
 登山着に注目してみると、後ろに氷柱の下がる宿屋のようなものが見える写真ではゲートルに地下足袋のような物を履いています。登山靴はあったようですがまだまだ高価でなかなか手に入らなかったようです。
 岩に登っている写真では、背広のような服に足元はしっかりした登山靴のようです。登山靴も進化して、ずいぶんと移り変わりがあります。いっとき流行ったプラスチックブーツなどは、最近では見かけなくなりました。細部では変化もありますが、やはり革製の登山靴は現在でも中心と言っていいでしょう。昔の革製の靴とは防水などの点では格段に進歩しています。
 写真を見て面白いのは、ピッケルです。あまりはっきり写っていませんが、食事をしている横にあるものを見るとかなりヘッドが大きいようです。
 ピッケルやアイスバイルなどは、昔はヘッドのカーブがそれほど大きくはありませんでした。しかし、今ではアイスバイルなどはまるでカマキリの鎌のように鋭角になっています。
 昔の人は、ゴアテックスもなければダウンもなかなか手に入らない貧弱な装備で高山にチャレンジしていました。それを考えると、現在の山登りではウエアやザック、シュラフ、テントなどの高機能用品がすらっとそろっているのに驚くほどです。
 冬の3000m級の山でテントを張ると、ロウソク1本がとても暖かく感じます。そして、ロウソクを「フッ」と消すとその瞬間にテントの内側に5cmほどもある霜柱がパーッと付きます。それほどの厳しい条件をどうやって昔の登山家はクリアしたのでしょうか。
 古い写真の各部を拡大して、載せてみます。興味のある方はじっくりとごらんください。なお、岩場の写真など、もし場所に心当たりのある方はぜひ教えてください。お願いします。(2013-01月)

【昭和初期の登山 Photo Guide】
上高地の嘉門次小屋です。ウエストンを上高地に案内した上條嘉門次の小屋です 上高地の嘉門次小屋です。ウエストンを上高地に案内した上條嘉門次の小屋です 最初の嘉門次小屋は1880年に建てられました。現在は4代目が当主になっています 最初の嘉門次小屋は1880年に建てられました。現在は4代目が当主になっています
飯盒やコッヘルの部分のアップです。左側に水筒も見えます 飯盒やコッヘルの部分のアップです。左側に水筒も見えます ピッケルを雪に突き刺し、フードのようなものをかけています ピッケルを雪に突き刺し、フードのようなものをかけています
足の部分のアップです。厚底の登山靴のようです 足の部分のアップです。厚底の登山靴のようです 上の人物の足元も拡大してみましたが、よくわかりませんね 上の人物の足元も拡大してみましたが、よくわかりませんね
雪目よけのサングラスをかけて、首にはマフラーのようなものを巻いています 雪目よけのサングラスをかけて、首にはマフラーのようなものを巻いています 足元は地下足袋のようになっています。カンジキでも使うのかもしれません 足元は地下足袋のようになっています。カンジキでも使うのかもしれません
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中央写真

 上高地にあるウエストン碑です。バスターミナルからは、梓川を渡った対岸にあります

中央写真

食事風景です。飯盒にコッヘルといった組み合わせです

中央写真

岩場の風景です。このころはまだザイルもなかったのではないかと思います

中央写真

温暖化の進んだ現在と違い、後ろに立派な氷柱が見えます。手前の線路のようなものは、トロッコのレールだと思います。場所のわかる方は、ぜひ教えてください

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