昭和36年のニシンそばは60円!

 「どてらい男」「鮎のうた」「細腕繁盛記」などの原作で知られる花登筺さんが作った「劇団 笑いの王国」。1961年(昭和36年)の京都四条南座公演プログラムに載っていたニシンそば。

「劇団 笑いの王国」は、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁が中心となった劇団。花登筺が作った。「番頭はんと丁稚どん」など、数多くの名作を演じた。1961年(昭和36年)の公演プログラム
「劇団 笑いの王国」は、大村崑、芦屋雁之助、芦屋小雁が中心となった劇団。花登筺が作った。「番頭はんと丁稚どん」など、数多くの名作を演じた。1961年(昭和36年)の公演プログラム
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 小さな広告なので見落とすところだった。注目したのは、南座東にあった「天金」というお蕎麦屋さんの広告。
 ちょっと調べてみると、ニシンそばは同じ南座にある「総本家にしんそば松葉」が発祥の店となっている。この頃から、京都では人気のそばだったのだろう。
 気になったのはその価格。「奉仕 六拾円」と書かれている。もちろん、今とは物価も違うので単純に比較はできないが、意外に安い気がするがどうだろうか。昨今では、立ちそば系は別にして、少し名の知れた蕎麦店なら、三口で食べられてしまうような盛りやザルそばが一杯、700円も800円もする。先だって、普通のそば店で見た「ニシンそば」の価格は1300円だった。
 こうなると、庶民の食べ物などという値段ではなくなってしまう。

ニシンそばは京都で生まれ、そばの定番メニューとして定着
ニシンそばは京都で生まれ、そばの定番メニューとして定着
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 ニシンは、その昔は海の色が変わるぐらい北海道の海に産卵に押し寄せ、戦後の貧しい食生活だった日本の貴重なタンパク源となった。ニシンが群来(くき)した時は、小学校などは休みになり生徒も総出で穫れた魚の処理をしたと聞く。
 そのニシンを日持ちさせ、日本中に分配させたのが身欠きにしんと呼ばれる、ニシンの干物だ。「ニシンそば」はその身欠きにしんをそばの上に乗せた。ニシンの脂が染み出し、そばつゆと絡まって抜群のうまさを演出してくれるわけだ。
 この広告を見て思ったのは、今ではニシンが群来することもなく、水揚げはほんのわずかになり貴重な魚となってしまった。そばも高くなった。江戸時代のドラマでよく出てくるシーンのように「おやじ、お代はここに置くぞ」と貧乏侍や浪人が気軽に鐚銭(びたせん)で食べる物ではなくなってしまったのだ。
 もはや、そばは「庶民の食べ物」という代名詞をハンバーガーや牛丼に譲ってしまったのではないだろうか。

ニシンそばは、そばつゆとニシンの脂が絶妙の味を作り出す。「総本家にしんそば松葉」のニシンそばを一度食べてみたい
ニシンそばは、そばつゆとニシンの脂が絶妙の味を作り出す。「総本家にしんそば松葉」のニシンそばを一度食べてみたい
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